第8回「いじめ・自殺防止作文・ポスター・標語・ゆるキャラ・楽曲」コンテスト
 作文部門・優秀賞受賞作品


    『 明 日』
        


                                         し ず く 

 生きていると、辛くて、逃げ出したい時があるよね。学生は、特に月曜日が嫌いで、日曜日の夜から、気分が落ち込み、明日が嫌で逃げ出したくなる。学校に行きたくないけど親に言ったら心配されるし、逃げたいのに行き止まり。だから死を選ぶ。私の子供もそうでした。まだ十五歳。まるで悪い夢を見ているようで、私の人生は一変しました。

 一週間前から異変はありました。笑わなくなって、部屋に閉じこもって、会話をしなくなり、大好物の食べ物も、食べなくなって、弁当も、残して帰って来るようになりました。だから元気を出して欲しくて、私は夜十一時に気合を入れ、お弁当を作り始めました。牛肉をすき焼き風に炒めたり、から揚げを揚げたり、デザートにクレープを作ったり、喜ぶ顔を思い浮かべながら作りました。そしたら子供が、珍しく台所に入ってきたので、とても嬉しくて、だから私は、

 「明日のお弁当、頑張って作ったから食べてね。」

と、お弁当を見せました。子供は軽くうなずき、携帯電話を、ずっと見ていました。それが最後の子供の姿で、次の日、お弁当は食べられる事なく、腐り果てていきました。月曜日の朝の、悲しい出来事でした。

 何でこんな事になったのか、頭がついていかなくて、悲しさと悔しさと、あの夜、もっと話していれば良かった、と、後悔と怒りと、疑問だらけで、私の心は、沈んでいきました。私は、答えを知りたくて、子供が持っていた携帯電話を開きました。でも、ロックがかかっていて、中身を詳しく見られず、藁にもすがる思いで、携帯会社に行きました。しかし、ロックの解除をできないと言われました。理由は、アプリを使ってロックをかけているため、改造したとみなされ、携帯会社では、お受けできないと言う事でした。後から知りましたが、自殺の掲示板に、中身を見られないやり方として、アプリが紹介されていました。このような場合でも、携帯会社で、ロック解除に、対応して欲しいと思いました。

 次の日話警察に、携帯電話の中身が見られない事を話し、ロック解除をお願いしました。後日、警察の方に携帯電話と、暗証番号の紙をもらいました。お礼を言い、家に帰って、ドキドキしながら暗証番号を入れました。しかし何度やっても開きません。仕方なく、警察に電話を入れました。

 「すみません、暗証番号が違うのか開きません。」

 私は、もう一度警察に来てください。と、言われると思っていました。しかし警察の方は

 「暗証番号は、紙に書いた番号です。」

 と言います。私は、

 「何度も試しているのですが、駄目です。」

と、言い返しましたが、それでも警察の方は、
 
 「んー。その番号のはずです。」

と言うので、忙しくて、面倒なんだろうなと察し、諦めました。警察の方には、いろいろお世話になりました。でも、中にはキツイ方もいて、すごく嫌な気持ちになりました。子供がした事により、捜査とか調査とか、面倒な部分もあったと思いますが、子供が悪い事をしたかの様な扱いで…。いや、悪い事をしたかもしれないけど、弱った心にグサグサ刺さり、悔しかったけど、ただただ、

 「すいません。すいません。」

と頭を下げました。悲しさと虚しさ。こんな親の姿、想像してみてください。

 子供がなぜ、死を選んだのか、どこで知識を得たのか。ずっとインターネットを検索しました。子供は、亡くなる前に、自殺に関する内容を検索していたからです。調べてみると、いろんな事が書いてありました。私はその内容を見て、怒りがこみ上げました。

 「死んだほうが楽」

 「生きていたって辛いだけ」

 「死ぬのなんて簡単」

 「楽に死ねる方法あるよ」

 「一緒に死のう」

 「迷惑かけない死に方教えます」

 すべて死を勧めるものばかり。死んだことのない人間が、『死んだほうが楽』とか、何でわかるの?『生きていたって辛いだけ』って、なぜあなたが未来を決めつけるの?楽しい未来が待っているかも知れないのに、弱っている人間を、なぜ、死に誘導するの?人生経験が少ない若者が、会った事のない人の話を信じてしまい、見知らぬ人だから何でも話せてしまう。そこに付け込んで、騙して面白がって笑ってる。迷惑かけない死に方なんて無いよ。楽な死に方なんて無いよ。騙されないで。

 自死遺族って知っていますか?自殺で家族を失った遺族の事です。自殺の掲示板には、その、自死遺族の事が書かれていません。愛する者を亡くした家族が、どれだけ辛くて、どれだけ悲しくて、毎日泣いて、会いたくて自分も消えたくなって、でも死ねなくて、線香をあげるために生き続ける。残された家族の悲しみを知るためにも、『自死遺族』を検索して見てください。『自死遺族 子供』で子を亡くした家族の苦しみを知ることができます。死を考えるのなら、家族のその後も知ってください。

 子供が亡くなって間もなく、買い物があり母と出かけました。誰にも会わないように、遠いお店に行きましたが、運悪く、知り合いに会ってしまいました。その人は、まだ、私の子供の死を知りません。だから普通に、

 「最近職場で見かけないね。休んでるの?」

と、聞いてきました。私はその時、なんて答えたら良いのか悩みました。悩みながら、作り笑顔で、

 「不幸事があって・・・。」

そう言葉を発した瞬間、涙が溢れ出て、我慢してもポロポロこぼれ落ち、その知人は、

 「ごめんね。」

と謝り去って行きました。悪いのは私の方なのに。私は、申し訳ない気持ちでいっぱいで今までのように、普通に生活できないと、感じました。それ以来、誰かに会ったら、また泣いてしまうんじゃないかと、考えるようになり、外に出るのが怖くて、私は引きこもりになりました。会社も挨拶なく辞め、メールアドレスも変え、年賀状の返事も出さず、友達との連絡を絶ちました。友達は心配して、ご飯に誘ってくれたり、買い物に誘ってくれたり、私を元気づけようと、気を使ってくれました。私も皆に会いたかったし、気持ちが嬉しかった。でも、泣いたらどうしようとか、何を話そうとか、考えると苦しくなり、会うのが怖くなって、だから連絡を絶ちました。私は、最低な人間です。

 家にアルバムはありますか?家族の思い出って、たくさんありますよね。きっと親は、君の成長を、大切にファイルしていると思います。私も写真をいっぱい撮りました。誕生日、七五三、運動会、お遊戯会、入学式、卒業式。成長が楽しみで、将来子供が結婚したら、思い出話に花を咲かせ、楽しく語り合えると思って、思い出を撮り続けました。でもあれ以来、写真を見る事ができなくなりました。見たら苦しくなり、涙が出ます。写真に写る我が子はもう、ここにはいない。逢いたくても逢えない。写真を見ると、悲しみが込み上げるのです。幼いころ、笑顔で

 「ママ、ママ」

って、私に抱きついた子供の情景が思い出され、アルバムは見られなくなりました。それと、子供とよく行った、本屋とか、回転寿司とか、デパートとか、思い出の詰まった場所にも行けなくなりました。そこに居るんじゃないかと、居ないのは分かっているのに、逢いたくて探してしまう。そして、我に返り、大泣きし辛くなる。だから思い出の場所にも行けなくなりました。その頃流行った歌も、聞けなくなりました。歌が流れていると、泣きながら車を走らせ、携帯会社に行った、あの時の事を思い出してしまう。楽しかった思い出は、すべて辛い思い出に変わり、私には、夢も希望も喜びも、何もかもなくなりました。

 情緒不安定な私は、夜眠れなくなりました。胸がバクバクして、涙も出て、あの時を思い出す。だから思い出さないように、楽しい事を思い浮かべるようにしました。もし宝くじが当たったら。それを考え、心を落ち着かせました。もし当選したら、駅前にマンションを買って、両親を呼び寄せ、一緒に暮らして、温泉行ったり、旅行行ったり、高級寿司食べたり、親孝行がしたい。職場の皆には、高級ホテルのビュッフェに招待して、謝りたい。元気でお金持ちの私を見せて、安心させたい。そしてもう一つ。自死遺族が、子供たちの悩みを聞いてあげられるような、居場所が作れたらいいなと思う。顔のマッサージとか、ハンドマッサージとか、少しでも心が安らげる空間を、作れたらいいなぁと、空想して眠りについています。

 昔私の町で、行方不明者がでて、一人の若者を、消防と警察、町の住人で捜索した事がありました。彼は、自殺しようとして、山に入ったと言う事でした。あれから十年経った頃、私は、保育園の前を通りました。そしたら、あの時行方不明になった若者が、保育園から笑顔で出てきました。腕には小さな赤ちゃんを抱え、嬉しそうに笑っていました。あの時死を考えた彼が、父になり、今は幸せそうに生きている。生きていたから得られる幸せ。人生は、辛いことばかりじゃないよ。壁にぶつかっても、ずる賢く乗り越えて、明日を生きて欲しい。

 自死遺族になって8年。今の私はと言うと思い出のない町に住んでいます。転勤族の夫と一緒に、いろんな町を転々と引っ越し、周りは、知らない人ばかりだから、堂々と外にも出られます。だから、普通に生活できるようになりました。でも心はもう、元には戻りません。ふとした瞬間思い出し、苦しくなって泣いてしまう。特に、子供の誕生日、命日は辛いです。だから、立ち直る事なんて、もう不可能。いつかあの町に戻ったら、引きこもりは復活してしまうと思います。不安だらけの人生。透明人間になりたいです。

 君の命は、大切に守られながら育ちました。お母さんのお腹の中で、10ヶ月守られながら元気で丈夫に育つように、小魚や、鉄分を取り、甘いものを我慢して、出産に挑みます。生まれた後は、3時間ごとに、おむつを替えミルクを与え、歩けるようになれば、怪我の無いように手をつなぎ、親は道路側、子供は内側。そうやって守られ、君の命は育っていったのです。

  だから命は、簡単に消したらいけない。家族を悲しませないでください。

  次は君の手で、大切な人を守ってください。もし君が、明日を生きてくれたら、私の心は救われます。